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~新宮美歩の場合~
第二回となる今回は高校時代からの友人でもある400・800mランナー「Fresco」所属の陸上競技選手新宮美歩選手に取材させて頂きました。”美人アスリート”としても有名な新宮選手。10年以上の付き合いでも「意外」と思う一面もたくさん発見しました。
(大学時代です(笑))
陸上競技に出会うまで
中新井美波(下記“中”):今日の練習どうやった?
新宮美歩(下記”新”):今日はね、鬼きつかった(笑)でもやれたな
中:うん、走れていたで。今日見ていて個人的に思ったんやけど、新はシンプルなスポーツ得意そう。
新:母が水泳選手やねん。今もマスターズの大会に出場したりしていて、私の陸上競技の試合結果と母のマスターズ水泳の試合結果で競ってきたりする。でも私も妹も、全然泳げない。
中:まじか!!すごいな!お父さんは?
新:父はずっと野球少年。
中:じゃあ「陸上競技」を誰か経験していて、とか陸上競技と関わるような環境ではなかったんや。なんで走ることを始めたん?
新:小さい頃から「球技」ダメ、「水泳」は補習になるくらいダメ、だから体育が一番苦手な科目で。でもなぜか運動会のリレーのメンバーには選ばれていた。そんな走ることは苦手じゃない中で、たまたま広島市内の陸上教室のチラシを目にして「あ、かけっこがスポーツとしてあるんや」って陸上競技に気付いたのが小学4年生の頃。楽しそうと感じて両親に自ら「連れて行って」って言った。
中:それ行った時はどうだった?
新:みんなは友達と一緒にとかやったけど、私はそこで誰と仲良くするとかもなく、ただ一人で淡々と「課題を出来るようにする」って感じで、メニューをこなしていた。その各地区の子たちが集まる陸上教室に月2回とかで参加して、夏休みに各地区合同の記録会があるって聞いたから、勝手に種目も短距離って一人で決めて、両親に「これ連れてって」って言って。初めての記録会は予選とか決勝とかも分からんから「もう一回走れるみたいやわ」くらいで走ったんやけど、決勝時に隣の子がスパイクを履いていて「なんやあのトゲトゲの靴は?!」ってなったのをすごい覚えている。多分私だけ靴やったと思うねんけど、そこで2位になったのよ。その試合を見ていた「ジュニアオリンピアクラブ」(※為末大選手(400mHの日本記録保持者)など所属していた陸上クラブ)の先生に誘われて、そこでも自分で「行きます」って決めて。(笑)
中:全部自分で決めるってすごいな
新:そう(笑)父は最初めっちゃ反対していた。多分野球してほしかったんじゃないかな。でも最終6年生になるときは、両親はクラブの会長してくれてたけど(笑) でもずっと試合は2位で5年も6年も負けてた。
中:強い子おったんや
新:いや、その都度違う子に負けてた。県で1位にならないと日清カップ(小学生の全国大会)に出場出来なくて、小学生は一度も全国大会経験出来なかった。
五日市中学の頃
中:陸上競技をしながら他に興味を持ったことはなかったん?
新:幼稚園の頃から体操はしていて、身体は柔らかかったよ。でもそれも卒園すると終わりで、それからはずっとピアノしてたよ。5歳から小学校卒業の12歳まで。コンクールとかも出たけど、賞をとることも無く、才能無かったんやと思う。4年生から陸上を始めて陸上に重きをおいてしまったけど、新宮家のルールで「始めたらやめるな」ってルールがあって(笑)
中:なにそれなにそれ
新:何でもやりたいことをさせてくれるけど、始めたら中途半端にやめるなっていうルールがあるから、母はピアノを続けて欲しかったんやけど、陸上で中学は忙しくなるし、じゃあ、小学校卒業まではキチンとピアノも打ち込んでやり切ると話し合って、決めたんよ。やめてからは陸上しかしてない。
中:陸上しかしてないっていうけどさ、勉学も含めて他に興味を持ったことなかった?
新:ない。勉学も困らないくらいは出来たから
中:頭ほんまいいもんな。成績聞いてびっくりしたこと覚えてるわ。
新:いやいや、でも、陸上しか頭に無かった、例えば中学生の頃とか女子は順番に無視するとか陰湿なイジメあるやん。
中:あるある。しょーもないやつな
新:あれも多分されてたけど、気付かんかった(笑)そんな友達関係で悩んだことが無いねん、ずっと今まで。全部、陸上競技の悩み。「何で記録伸びへんのやろう」とか「どうやったら勝てるやろう」とか。陸上が全てやから自分のプライベートのこととかは結構適当なんかも。
中:多分新の中で中心が何かっていうのがあるんやろうな。休日は何してた?
新:遊んでたんやろうけどあまり何していたかとか覚えてないんよね。ファッションにもメイクにも興味も無かったから、マネキンが着てる服、上から下までそのまま買ったり。(笑)友達と話す事は好きやったけど、高校からは食べる事に目覚めて週一でバイキング。大阪はほとんどのお店に行ったんじゃないかな。スイーツもピザも焼肉も(笑)あと映画行って、温泉とか。
中:休日はリフレッシュの時間やもんね。食べる事、人間の本能やな(笑)
12歳まで続けたピアノ
挫折から気付いたこと
中:素晴らしい成績を収めてきた新やけど、色々挫折やら失敗、壁にぶち当たったと思うねん。
新:挫折しまくってるからなあ・・・
中:成績を見ると、中学の全国大会出場から、毎年ちゃんと素晴らしい成績を残してるやん。知らん人からしたら成績が落ちてる時期が無いからさ。
新:一番心が折れたのは世界選手権に行かせてもらった時かな。
中:へー!意外。一番ノリノリな時ちゃうん?
新:その時完全に私は鼻を折られてるからな。日本がこんなに弱いと思ってなかったのと、予選が選考で、走らせてくれるチャンスがあると思ってたんやけど、日本女子チームとしては全く私を走らせるつもりなかったのよ。今考えると経験ない私をいきなり走らせることは無いって分かるねんけど。だから記者に「日本代表に選ばれたけど意気込みは?」って問われて「予選だけでも走らせてもらえれば」って言ったら失笑されたもん。「日本は決勝に残れないレベルってこの子知らないんだ。予選しかないよ」って意味やったと思う。世界を知らな過ぎたのよ。
中:そんなことがあったんや。知らんかったわ。大学院では何を学んだん?
新:「800mと400mの種目特性」陸上競技を「感覚」では無く「知識」として知りたかった。トレーニングの原理とか、エネルギー供給機構の割合だったり、すごい勉強になった。
中:(院の前の)東大阪大学では何を学んだん?
新:こども学部。幼稚園、保育士、小学校の先生になれる学部。その中で幼稚園、小学生の先生にはなれるよ。院に行ったから専修免許も持ってるよ。
東大阪大学時代の新宮選手
現実と夢と「これから」
中:色々あったけど、新にとって「強み」はなに?
新:自分が弱くなったときに考えたことがあるけど、幼い時から決めたことを「継続」することが出来ることかな。「継続は力なり」って言葉と、あとは小学生の頃から「夢はでっかくオリンピアン」ってクラブチームのカラーもあって、私自身夢見がちやし、だから「夢」と「継続」で私は出来てるかな。
中:今現時点で掲げてる夢や目標は?
新:陸上を始めた時から「オリンピック」が目標ではある。一時期言うのが恥ずかしいと思ったこともあるけど、競技をしている以上やっぱ目標はここでしょう。
中:「オリンピック」ってはっきり声に出して言えるようになるまで色んな葛藤があったと思うねんけど、口に出せるようになったキッカケというか、自分の考えが変わる転機とかあった?
新:私、夢は叶ってんねん。「陸上選手」やから。でも、叶えたら終わりじゃなくて、明るく元気にかっこよく「不安」を見せるような選手じゃだめやと思った。その部分は身内や自分の中だけでいいと思う。アスリートは「夢」をこどもたちに見せるのも仕事やと私は思うから。
中:分かる。不安要素や悩みはプロとしてやるなら普段から見せるものではないって思う。新にとって「走る」とは?
新:「色んな世界を見せてくれる」ものかな
中:気を付けていることは?
新:「疑問」を常に持つこと。「なぜこれをするのか」ってトレーニングも日常生活でも。「せなあかん」って私はとらわれがちって理解してるから、自分に問いかけて落とし込んでる。
中:トップで活躍するために何が必要やと思う?
新:「決める」こと。そして「自分の可能性を信じて疑わないこと」
中:「一流」とは?
新:「有言実行する人」私はまだ半々ぐらいやからまだまだやわ。「宣言すること」はすごい自分にプレッシャーをかけることやし、プロは自分にプレッシャーかけてもらうことが仕事やと思ってる。夢が大きくなればなるほど言えなくなってくるから、有言実行してこそ一流やと思う。
新宮美歩(しんぐうみほ)
美人アスリートとして話題を呼んだ陸上競技選手。高2日本ユース400m1位、高
3全国インターハイ優勝、世界陸上日本代表入り。大学1年世界ジュニア400m準決勝進出、大学2年 日本選手権400m優勝、など数々の成績を残す。趣味はパン屋巡り。座右の銘「雲外蒼天」「日進月歩」。尊敬する人はアリソン・フェリックス、モンキー・D・ルフィ(集英社「ワンピース」の主人公)。陸上以外では適当に自由に生きる事をモットーとしている。「株式会社ハートフレンド」に入社し、京都を中心として関西圏に店舗展開しているスーパー「フレスコ」の陸上競技部として、選手活動をしている。会社の企業理念は『来店されたお客様の満足を得る』であり、会社の夢は『世界最高のスーパーマーケット』1991年11月29日広島県広島市生まれ。28歳。
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